私たちのMission
当法人のホームページにお越し下さり有難うございます。
少し長くなりますが、「私たちが皆さまにお願いしたい事」をお話させて下さい。
1 宝塚市雲雀丘地区と安田邸につきまして
兵庫県宝塚市雲雀丘地区は、大阪市が重工業が発展して大(だい)大阪と言われた大正時代に、大阪の郊外型住宅地として、阪急電鉄の創業者である小林一三氏が線路を引き、当初は阿部元太郎氏を中心に開発され、初代電源開発総裁をされた高碕達之助氏が居を構えるなど、田園調布の原型になったと言われる素敵なエリアです。
現在は、安田邸は残念ながら防災上の観点から立入禁止となってしまいましたが、高碕達之助氏を顕彰する「高碕記念館」と「正司邸」(共に国登録有形文化財)が公開されています。
この地に憧れて移り住む人も多かったのですが、戦後GHQの高級将校住宅地として35棟が接収(1946-1952)されるなど時代の流れと、相続の問題等もあり、お屋敷の数も減り、当初の景観が変わって来ております。それでも地区の方々の熱い思いもあり、今迄何とか従前の景観は維持出来ています。
雲雀丘花屋敷駅西口から出てシュロ並木を2分歩き右手に折れること2分、この地域の要ともいえる場所に安田辰治郎邸はあります。
1921年に建てられた,多彩な技法を駆使した外観を見せるクイーンアン調の和洋館です。
今は大分くすんでいますが、本来外壁はピンク系で(黄色説もあり、GHQ文書で要確認)、全体的に手作り感ある仕上げで、住宅史的には20世紀初頭の米国中産階級の郊外住宅様式を取り入れた最も初期の例と言われています。その時代にハワイ経由でサンフランシスコに入港した若き商社マンが帰港して建てたので当然ではありますが。
安田氏は1908年に大阪商業高等学校(現大阪公立大学)から三井物産に入社し、1911年7月に神戸港から出港、1915年8月に帰港する迄4年程ニューヨーク支店に勤務していました。
1917年には、不動産業等で独立され、1920年に阿部元太郎氏から雲雀丘の宅地460坪を購入しています(この売買契約書は現存しています)。
そして1921年に、米国勤務の際に得た知見に加え雑誌等で研究して、自分で設計し、念願の「安田邸」を山城の大工さんで建てたと言われています。ただ、洋館でありながら「和」の要素も取り入れられていて様々な工夫がなされている事から、著名建築家にもアドバイスを持った可能性も指摘されています。
その文化的価値・地域における存在感の大きさから、
(1)1994年に「宝塚市景観形成建築」第2号
(2)2009年度の「ひょうごの近代住宅100選」第2選にも
選ばれています。
2 私たちの問題提起と決意をお話します
その後、後継者が不在な事もあり、2010年3月22日に長女の故安田敏子様の遺志を継いだご遺族の山西輝和様から宝塚市に遺贈されました。
同年5月10日に交わされた遺贈者との覚書には
①公共の用に供すること
②既存建物を保存・活用すること
③既存建物の利活用が困難な場合は建物の再建築も含めて利活用すること
が記載されています。
現在迄この14年間、いろいろな方が上記覚書に則り、それぞれの考え・方針で懸命に再建・活用を図ったのですが、果たせず。ついに老朽化で、2024年に入り、宝塚市により「立入禁止」の張り紙が張られる事態になってしまいました。
この案件の難しさは主に3点に集約されます。
土地は宝塚市所有なので、市に賃料を払い、建物は無償譲受して対応して事業を継続する必要があります。建物への対応は事業者負担です。
(1)第1種低層住居専用地域であり用途に制限がある:例外適用は難易度が高い
(2)14年無修理なので、建物の傷みが想定を超える:費用負担が膨大である
(3)商売目的では住民の理解を得る事が難しい :利益追求が難しい
残念な事に事業者から見ての上記の要件はハードルが高く、公募しても応募する事業者が現れるには至っていません。
時間の経過と共に、
(1)大きな台風・地震が来ると大変危険だが、無くても劣化で倒壊の危険がある
(2)宝塚市が安田邸を選定した保有最適化方針の適用期限が近付いて来た、に加え
上記の状況で、期限迄建物が持たない可能性が出て来た。
以上のことから、地元では取り壊されるのは時間の問題だと認識せざるを得ない状況になりました。残したいと願う者にとっては、もはや一刻の猶予も無くなりました。
今、取れる選択肢は、
(1)危険なので、残念だが取り壊される事を受け入れる
(2)最後のチャンスに「保存・再生」の行動を起こす
どちらかです。
私たちは、
(1)安田邸の103年経つ洋館としての歴史的・文化的価値の継承
(2)大正期の阪神間モダニズムに加え、日本の電鉄経営・住宅開発の産業ヘ
リテージとしての価値の継承(大正バブル当時の日本の金融の一方の中心だった
大阪船場北浜の料亭旅館「淡路屋」を舞台にした政財界の大物との関りを、特
に小林一三氏との関りを研究出来そうな資料有)
(3)雲雀丘地区の景観形成の要として地区のブランディングの維持を次世代に引き
継ぐ為に
私たちのミッション「最後のチャンスである安田邸の保存・活用に地域をあげて全世代をあげて取り組む事にチャレンジする事」を決意した次第です。
3 私たちのご提案とお願いです
具体的には、数年前の試算でただ残すだけで1億円、活用するには4億円が必要と言われていました。今は、資材の高騰・人件費の高騰等、最低でも2割増し、実際の活用には6億円必要と思われます。
当法人は設立時、8名の理事と1名の監事で構成されており、それぞれが担当分野でのエキスパートです。建築学部の教授・1級建築士・公認会計士・弁護士等もおり、この組織で保存・再建の作業自体は可能ですが、公共性・地域連携・学問的価値の追求等を考えると十分とは言えません。「雲雀丘の安田邸」として地域との共生が第一ですが、最難関は資金です。
安田邸に価値が有り、雲雀丘地区にパワーがあるなら6億円は集められる金額です。但し、上記の理由で時間との戦いになります。
事業者名は公表出来ませんが、現在安田邸の保存・活用を提案出来そうな事業者様も複数いらっしゃいます。ただ、私たちは事業に対しては黒子で構いませんが、事業目的があくまでも「安田邸の保存・活用」ですので、結論が取り壊しての土地活用では本来の趣旨から逸脱します。また、安田邸の再生にある程度の金銭負担を言われる可能性もあり、まずは、自力での再生・活用を目指します。
まず、取り壊しを免れ,プランニングから基本設計に進むために、早急に1億円を集めたいと考えています。
「森の中に赤い屋根の家がある庭園都市」の理想を掲げた開発者の意思を引継ぎ、皆で築き上げた地域の歴史と景観を物語化した「雲雀丘モデル」をこれからも守り続けて行きたいと思います。
肝心の建物は、14年前から修理の必要が言われていたので、いよいよもって年内と思われます。そこで、6月9日に事務所の開所式を行ってからすぐに地元での寄附依頼活動に入ります。
このエリア(便宜上宝塚市雲雀丘1-3丁目、宝塚市雲雀丘山手1-2丁目に限定してお話します)にお住まいの方は、令和4年12月31日現在で、1866世帯4238名いらっしゃいます。宝塚市に属するコミュニティのエリア全体では、4629世帯8426名いらっしゃると計算されます。上記の景観に含まれる隣接する川西市にお住いの方々も加えると10000名は遥かに超えるであろう方々に、ご理解頂いて、ご寄附のお願いをすることから始めます。(計算を宝塚市域に限定したことと数字の多少の齟齬はご容赦願います。当然川西市花屋敷地区は一体であり、阪急宝塚線の駅名は雲雀丘花屋敷となっています。)雲雀丘花屋敷地区の「安田邸を残したい」Silent Majorityの存在を信じて。
安田邸は老朽化による倒壊の危険があり、現所有者の宝塚市により「立入禁止」の看板が掲げられている以上、取り壊されるのは時間の問題で、そうなるともう再生は不可能です。今ならギリギリ間に合います。ご年配の方々からは「安田邸残すのは無理。いろいろあり過ぎて皆さんもう関心は消えた」とのお声を聞く事が多いのですが、まだ間に合います。素敵な「私たちの雲雀丘の雰囲気」を守りましょう!
現在迄、安田邸を再生・活用する為に、「具体的なプラン・スケジュールや対象者様・お金の金額」を示してご寄附のお願い等の資金調達の提案をされた法人・個人様はいなかったと伺っております。一方で「具体的に 理念・方針・スケジュール等納得性の高い計画」を示せれば、「安田邸を何とかしよう」と「ご寄附頂ける方々は」この地域には存在し、その方々は「具体的なプランと提案を待っていらっしゃる」ともよく聞きました。今回はその方々にお応え出来ます。
高齢化は進んでいますが、地元で日々生活していますと「雲雀丘地区が好きで」新しくマンション等に引っ越されて来た方々も本当に多く、よく家族連れ様ともお会いします。お屋敷の空洞化もありますが、新しい住民も増えている印象があります。
皆さま、一緒に雲雀丘地区を豊かなステキな街にしていきましょう!
当法人理事の 武庫川女子大建築学部 石田潤一郎教授 と、小田竜哉1級建築士の現地調査後の見立ては、「木造建築物は基本再生可能で、屋根の骨格、建物を構成する柱、梁の骨格、その建物を支える基礎、地盤の強度等の構造の確保、その他に耐火性能等現状の法律に適合する事が出来れば、外側の部材を今の物で代替補強して行けば意匠として「再生は可能」」というものです。プランニング・基本設計で、費用はかかるものの3か月程度で確認作業を行い、実施設計して着工から2年程度で、「再生された安田邸をご覧頂ける」との事です。検討頂いている他の事業者様の状況により多少の前後はありますが、この基本観で進めて参ります。
老朽化との最後の戦いですが、故 安田敏子様の遺志を尊重して、皆様のご支援を得て、今出来る限りの対応をしようと考えています。遺言執行人の山西輝和様にも正会員第1号になって頂き、「安田邸の103年の歴史の最後の挑戦」に全面協力頂けます。
令和の同時代を生きる皆様、それぞれのお立場で、ご支援どうぞ宜しくお願い申し上げます。
少し長くなりますが、「私たちが皆さまにお願いしたい事」をお話させて下さい。
1 宝塚市雲雀丘地区と安田邸につきまして
兵庫県宝塚市雲雀丘地区は、大阪市が重工業が発展して大(だい)大阪と言われた大正時代に、大阪の郊外型住宅地として、阪急電鉄の創業者である小林一三氏が線路を引き、当初は阿部元太郎氏を中心に開発され、初代電源開発総裁をされた高碕達之助氏が居を構えるなど、田園調布の原型になったと言われる素敵なエリアです。
現在は、安田邸は残念ながら防災上の観点から立入禁止となってしまいましたが、高碕達之助氏を顕彰する「高碕記念館」と「正司邸」(共に国登録有形文化財)が公開されています。
この地に憧れて移り住む人も多かったのですが、戦後GHQの高級将校住宅地として35棟が接収(1946-1952)されるなど時代の流れと、相続の問題等もあり、お屋敷の数も減り、当初の景観が変わって来ております。それでも地区の方々の熱い思いもあり、今迄何とか従前の景観は維持出来ています。
雲雀丘花屋敷駅西口から出てシュロ並木を2分歩き右手に折れること2分、この地域の要ともいえる場所に安田辰治郎邸はあります。
1921年に建てられた,多彩な技法を駆使した外観を見せるクイーンアン調の和洋館です。
今は大分くすんでいますが、本来外壁はピンク系で(黄色説もあり、GHQ文書で要確認)、全体的に手作り感ある仕上げで、住宅史的には20世紀初頭の米国中産階級の郊外住宅様式を取り入れた最も初期の例と言われています。その時代にハワイ経由でサンフランシスコに入港した若き商社マンが帰港して建てたので当然ではありますが。
安田氏は1908年に大阪商業高等学校(現大阪公立大学)から三井物産に入社し、1911年7月に神戸港から出港、1915年8月に帰港する迄4年程ニューヨーク支店に勤務していました。
1917年には、不動産業等で独立され、1920年に阿部元太郎氏から雲雀丘の宅地460坪を購入しています(この売買契約書は現存しています)。
そして1921年に、米国勤務の際に得た知見に加え雑誌等で研究して、自分で設計し、念願の「安田邸」を山城の大工さんで建てたと言われています。ただ、洋館でありながら「和」の要素も取り入れられていて様々な工夫がなされている事から、著名建築家にもアドバイスを持った可能性も指摘されています。
その文化的価値・地域における存在感の大きさから、
(1)1994年に「宝塚市景観形成建築」第2号
(2)2009年度の「ひょうごの近代住宅100選」第2選にも
選ばれています。
2 私たちの問題提起と決意をお話します
その後、後継者が不在な事もあり、2010年3月22日に長女の故安田敏子様の遺志を継いだご遺族の山西輝和様から宝塚市に遺贈されました。
同年5月10日に交わされた遺贈者との覚書には
①公共の用に供すること
②既存建物を保存・活用すること
③既存建物の利活用が困難な場合は建物の再建築も含めて利活用すること
が記載されています。
現在迄この14年間、いろいろな方が上記覚書に則り、それぞれの考え・方針で懸命に再建・活用を図ったのですが、果たせず。ついに老朽化で、2024年に入り、宝塚市により「立入禁止」の張り紙が張られる事態になってしまいました。
この案件の難しさは主に3点に集約されます。
土地は宝塚市所有なので、市に賃料を払い、建物は無償譲受して対応して事業を継続する必要があります。建物への対応は事業者負担です。
(1)第1種低層住居専用地域であり用途に制限がある:例外適用は難易度が高い
(2)14年無修理なので、建物の傷みが想定を超える:費用負担が膨大である
(3)商売目的では住民の理解を得る事が難しい :利益追求が難しい
残念な事に事業者から見ての上記の要件はハードルが高く、公募しても応募する事業者が現れるには至っていません。
時間の経過と共に、
(1)大きな台風・地震が来ると大変危険だが、無くても劣化で倒壊の危険がある
(2)宝塚市が安田邸を選定した保有最適化方針の適用期限が近付いて来た、に加え
上記の状況で、期限迄建物が持たない可能性が出て来た。
以上のことから、地元では取り壊されるのは時間の問題だと認識せざるを得ない状況になりました。残したいと願う者にとっては、もはや一刻の猶予も無くなりました。
今、取れる選択肢は、
(1)危険なので、残念だが取り壊される事を受け入れる
(2)最後のチャンスに「保存・再生」の行動を起こす
どちらかです。
私たちは、
(1)安田邸の103年経つ洋館としての歴史的・文化的価値の継承
(2)大正期の阪神間モダニズムに加え、日本の電鉄経営・住宅開発の産業ヘ
リテージとしての価値の継承(大正バブル当時の日本の金融の一方の中心だった
大阪船場北浜の料亭旅館「淡路屋」を舞台にした政財界の大物との関りを、特
に小林一三氏との関りを研究出来そうな資料有)
(3)雲雀丘地区の景観形成の要として地区のブランディングの維持を次世代に引き
継ぐ為に
私たちのミッション「最後のチャンスである安田邸の保存・活用に地域をあげて全世代をあげて取り組む事にチャレンジする事」を決意した次第です。
3 私たちのご提案とお願いです
具体的には、数年前の試算でただ残すだけで1億円、活用するには4億円が必要と言われていました。今は、資材の高騰・人件費の高騰等、最低でも2割増し、実際の活用には6億円必要と思われます。
当法人は設立時、8名の理事と1名の監事で構成されており、それぞれが担当分野でのエキスパートです。建築学部の教授・1級建築士・公認会計士・弁護士等もおり、この組織で保存・再建の作業自体は可能ですが、公共性・地域連携・学問的価値の追求等を考えると十分とは言えません。「雲雀丘の安田邸」として地域との共生が第一ですが、最難関は資金です。
安田邸に価値が有り、雲雀丘地区にパワーがあるなら6億円は集められる金額です。但し、上記の理由で時間との戦いになります。
事業者名は公表出来ませんが、現在安田邸の保存・活用を提案出来そうな事業者様も複数いらっしゃいます。ただ、私たちは事業に対しては黒子で構いませんが、事業目的があくまでも「安田邸の保存・活用」ですので、結論が取り壊しての土地活用では本来の趣旨から逸脱します。また、安田邸の再生にある程度の金銭負担を言われる可能性もあり、まずは、自力での再生・活用を目指します。
まず、取り壊しを免れ,プランニングから基本設計に進むために、早急に1億円を集めたいと考えています。
「森の中に赤い屋根の家がある庭園都市」の理想を掲げた開発者の意思を引継ぎ、皆で築き上げた地域の歴史と景観を物語化した「雲雀丘モデル」をこれからも守り続けて行きたいと思います。
肝心の建物は、14年前から修理の必要が言われていたので、いよいよもって年内と思われます。そこで、6月9日に事務所の開所式を行ってからすぐに地元での寄附依頼活動に入ります。
このエリア(便宜上宝塚市雲雀丘1-3丁目、宝塚市雲雀丘山手1-2丁目に限定してお話します)にお住まいの方は、令和4年12月31日現在で、1866世帯4238名いらっしゃいます。宝塚市に属するコミュニティのエリア全体では、4629世帯8426名いらっしゃると計算されます。上記の景観に含まれる隣接する川西市にお住いの方々も加えると10000名は遥かに超えるであろう方々に、ご理解頂いて、ご寄附のお願いをすることから始めます。(計算を宝塚市域に限定したことと数字の多少の齟齬はご容赦願います。当然川西市花屋敷地区は一体であり、阪急宝塚線の駅名は雲雀丘花屋敷となっています。)雲雀丘花屋敷地区の「安田邸を残したい」Silent Majorityの存在を信じて。
安田邸は老朽化による倒壊の危険があり、現所有者の宝塚市により「立入禁止」の看板が掲げられている以上、取り壊されるのは時間の問題で、そうなるともう再生は不可能です。今ならギリギリ間に合います。ご年配の方々からは「安田邸残すのは無理。いろいろあり過ぎて皆さんもう関心は消えた」とのお声を聞く事が多いのですが、まだ間に合います。素敵な「私たちの雲雀丘の雰囲気」を守りましょう!
現在迄、安田邸を再生・活用する為に、「具体的なプラン・スケジュールや対象者様・お金の金額」を示してご寄附のお願い等の資金調達の提案をされた法人・個人様はいなかったと伺っております。一方で「具体的に 理念・方針・スケジュール等納得性の高い計画」を示せれば、「安田邸を何とかしよう」と「ご寄附頂ける方々は」この地域には存在し、その方々は「具体的なプランと提案を待っていらっしゃる」ともよく聞きました。今回はその方々にお応え出来ます。
高齢化は進んでいますが、地元で日々生活していますと「雲雀丘地区が好きで」新しくマンション等に引っ越されて来た方々も本当に多く、よく家族連れ様ともお会いします。お屋敷の空洞化もありますが、新しい住民も増えている印象があります。
皆さま、一緒に雲雀丘地区を豊かなステキな街にしていきましょう!
当法人理事の 武庫川女子大建築学部 石田潤一郎教授 と、小田竜哉1級建築士の現地調査後の見立ては、「木造建築物は基本再生可能で、屋根の骨格、建物を構成する柱、梁の骨格、その建物を支える基礎、地盤の強度等の構造の確保、その他に耐火性能等現状の法律に適合する事が出来れば、外側の部材を今の物で代替補強して行けば意匠として「再生は可能」」というものです。プランニング・基本設計で、費用はかかるものの3か月程度で確認作業を行い、実施設計して着工から2年程度で、「再生された安田邸をご覧頂ける」との事です。検討頂いている他の事業者様の状況により多少の前後はありますが、この基本観で進めて参ります。
老朽化との最後の戦いですが、故 安田敏子様の遺志を尊重して、皆様のご支援を得て、今出来る限りの対応をしようと考えています。遺言執行人の山西輝和様にも正会員第1号になって頂き、「安田邸の103年の歴史の最後の挑戦」に全面協力頂けます。
令和の同時代を生きる皆様、それぞれのお立場で、ご支援どうぞ宜しくお願い申し上げます。
一般社団法人 雲雀丘安田邸プロジェクト
代表理事 田中富基